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2012年5月16日水曜日

沖縄がアメリカだったときを知っていますか?

小学生の頃
丁度、東京オリンピックが終わった頃に
近くの大学の学生さんたちが、沖縄の小学校を訪れるので、
近くの小学校の生徒にお手紙を書いてもらい持って行って、文通をしようというイベントがあった。
沖縄のことも何もわからず、お手紙を書いた
どういうわけか、私にだけ返事がきた。国際郵便で、
宮古島の小学生だった。

いまだに、文通が続いている。50年。
当時、ずっと国際郵便で、とても料金が高かった
沖縄からの切手は、いつも天女の切手だった。

そして、沖縄が日本に戻って当時いくらだったのか、1/10くらいの料金で郵便が届くようになったのがうれしかった。

私は、まだ、一度も沖縄に行ったことがない

戦争の時に苦労をかけて、今も、基地がある場所

へらへらした気分では訪れられない。
彼女は、遊びにおいでというけれど

私の気持ちの整理がつかない。

私は、彼女からの手紙を持っているけれど
彼女は、持っていないという
どうしてかって

台風で、屋根とともに、手紙もすっ飛んで行ってしまったそうだ

ただ、友情だけは、続いている

つかず離れず、すてきな友だ。

彼女は、仕事をリタイヤして
お孫さんもいらっしやるそうな

私は、小学生のときの私と何も変わっていないな



お寺のお坊さんの悩み

お寺のお坊さんはどうしているのだろう

1時間前にすっかりきれいに掃除をした
楠の落葉と、グレープフルーツの花びらと、ツツジの落花

食事をすまして、外に出てみると、なにごともなかったように
掃除をする前の状態

ここちよく風が吹き抜ける
ちょっと強めの風

気を取り直して、掃くそばから、私も仲間に入れてと、花びらが落ちてくる

小僧さんがゃっと掃除をし終えると
住職が、見に来て
まだ掃除しとらんのか?
と説教する姿が目に浮かぶ

いったい、どうやって、朝のお努めの区切りをつけるのであろうか?
1⃣時間で区切る
2⃣風がやむまで掃き続ける
3⃣風がやんでから掃く