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2011年11月21日月曜日

月曜

NHKを見ていたら、藤木古墳のそばの文化センターで国宝展示
奈良に行き、三十搭を見て、北円堂の無着像を見て、国宝館で阿修羅に会い
東大寺に向かう、皇太子様のご一行がとおるというので、足止め、パトカーが5台、白バイ4台の警護
世の中の道に渋滞はないとお思いではと心配になる。
全国行く先ざきで、この警備は、国費の無駄、税金の無駄、
日本は、治安国家だ。

さて、東大寺ミュージアムで、三月堂の仏たちにお会いする、光背のない仏像は、裸みたいで恥ずかしげ

東大寺前から、バスに乗り法隆寺に、ウンチャンが、JR奈良駅から電車にのれば、7分でつくとアドバイスくださり電車で法隆寺へ徒歩15分とあるが20分はかかった、センターで国宝を見て、藤木古墳へそして、法隆寺への道が、すばらしいお屋敷道・・・そして法隆寺の伽藍を見て、急ぎ足で駅へ

奈良経由京都へ

京都駅で、お気に入りの鳥かつ弁当、1000円を買い、もちビールも車内へそして帰途についたのでした。

すばらしい旅、そういえば、4日のうち3日間昼食事はせずに動きまわっていた。だれとも一緒に旅行はできない、いつも、休みなく歩み続ける、人生に似たたび、これもまた楽しい。

Tホテルのデイナー

長男と別れて、
Tホテルに行く、
駅から結構歩く
Tホテルは、会員向けのサービスをしていたが人気でその部屋は、取れずに普通の部屋に泊まる。
15周年記念とやらで、2千円でデイナーが食べられた
デイナーといってもなあ、
クリームスープ
特製ハンバーグステーキ・・・これが、肉汁がしたたり落ちて美味
デザート、コーヒー
なんか寂しいけど超安い

これだったら、長男にも奢れたけど、
仕事だしね!!残念だったね!!

日曜の夜

長男を訪ねる。
長男の職場は、すごく豪勢だった。
いろいろなことを話したかったのに、ずっとしゃべっていたのに、なにも話さなかったような気分。
いい仕事仲間に囲まれて、元気な姿を見ただけで、kasanは、幸せだった。

ちょっと痩せたかなと心配だったけど、そこは口にださずに
大変そうだけど、優しい仲間と一緒ならなんでもできるぞ!!

うらやましいな、がんばれ、遠くから応援しているからね!!

ラテン系の人は、友に会ったときハグする、
あれはいいね、抱擁というのとはちょっと違い、しゃべらなくても思いが伝わる、会った時、思わずハグしたい気分だッタト
アト
ニナッテオモウケド
握手して別れた

次に何時会えるのか、一期一会、素敵な男に出会えた幸せ。

素敵な男が5人もいる幸せ!!

日曜の朝

朝の厳島神社は、またもや干潮
bookchanと言えば、青鷺と縁がある
ガラパゴスのプールで泳いでいたときに現れたのが青鷺
この年賀状をお持ちの方も大勢いらっしゃる

さて、今回は、鳥居と青鷺
青鷺を私の守護神にしよう
まるで、ガラパゴスから飛んできたようにそっくりの君

土曜の朝の出来事

朝食前に、厳島神社に行く
引き潮
神主さんたちの登庁
神々にごあいさつをなさっている。

引き潮なので、浜に降りて、鳥居近くまで行き、写真をとろうとしていると蹄の音、そんな馬鹿なと思っていると、私の横を何かがすり抜けて行く、私と鳥居の間になんと雌鹿が、霧雨にけぶる鳥居と私の間に鹿が絶好のシャッターチャンス
ハーリーポッターのフアンなら、あの鹿の光景を彷彿させる、いやあれ以上に神秘的な光景
そのうち、牡鹿との駈け比べがはじまり、最終的に2頭は、土産物屋の軒先で雨宿り・・・・
神々しいまでの情景を目の当たりにして、神の存在を感じる。

宮島

宮島へは、宮島口から、フエリーで10分程度
あるイベントでおとずれたのだが、主催者の用意したホテルは、相部屋だったので、自分で探した宿に泊まる。
これが大当たり、部屋自体は豪勢ではないが、お食事が素晴らしい。
外国の方も、よく調べているなあという感じでいらっしゃる。

お風呂は、各部屋にあるがさみしいので近くの源泉かけ流しの宿を紹介していただいて塩味のする温泉につかり、お肌すべすべ
宮島にいらっしやるかたは、個別に連絡くだされば、お宿を紹介します。
だれにも言いたくないような宿!!

ただいま帰りました

秋に安芸の宮島に行ってきました。
晴れ女なのに、金・土曜の午前中雨、土曜の午後から晴れ

まず、金曜に、原爆ドーム見学
原爆の記念館を3時間かけて見学、人類なら一度見ておくべき
放射線を発生するものと距離による影響の実験装置が興味深い
遠足か修学旅行が大勢いらしていた。
こどものときに見ておくべきとこ

原爆の被害者という観点だけではなく、第二次世界大戦の原因となった侵略を日本がしていたという事実も忘れていない点がすばらしい。

そして、涙が止まらないのは、犠牲になった人々が家族という絆に繋がれているという点

生き残った、被害者は当時のことを何も語らないまま亡くなった方も多くいらっしゃる
それだけ、重いできごとだったということ。
そして、長生きした人は、自分の使命は、これをかたりつぐことだと悟り語り始める、全国からよせられた、被害者が語る当時の絵が、本当に今の出来事のように鮮明に描かれているのを見ると、この苦痛を60年も抱えて生きてきた人々の苦悩を思う。

なにもないところから、よくここまで立ち直ったものだ。