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2012年3月19日月曜日

3/18の総合テレビと教育テレビは濃かった

昨晩、見るものないねと言いながら
9時から、3/10の583枚の写真を見た。
政府のプロパガンダの写真集を発行していた、会社が、今は採用されなくても、50年後60年後につたえなければならない写真を撮り続けていた事実。
それが、大方、戦争裁判をおそれ燃やされた後、戦後も70年近く人しれず、
この現代に日の目を見るという歴史てき奇跡。
戦争の悲惨さを伝えるとともに、町の復興の早さにびっくりする。
空襲で、爆弾を背中に受けたご婦人は、今も背中の腰のあたりに10cmくらいの大きな穴、くぼみがある。
「こんな傷を負って、いままで、黙って静かにしてきしゃったんですよね」
私の考えでは
日本人の戦争被害に対する声は、そういえば小さい気がした。


10時から、教育テレビで作家の高村氏が語る、震災後のはなし
こちらは、元に戻すというのではなく、震災前に人々が抱えていた問題を
良く考え、これからどうすねのかを見据えなければいけないという話し。
村全体が水没した地元漁民が、「今、この家を修復するとかそういう問題ではない、この家を修復しても何も生まれない、これからは教育だ、教育でこどもを育てれば、社会に出てその子が活躍して人のためになる」
福島で、原発で水田が汚染された農民「この土地を除染して、農地が再生されたところで、農業が先細りの中、後継者がいない中、日本中の農家が、兼業農家で、働き口がないところでは、農家をやっていけない。若い人は、汚染された働き口がないところでくらすより働き口があればそちらに移転したほうがいい。」「除染したところで、だれが農家をやるのか?」
福島の民俗学が専門の博物館の館長さん「東北の人は、土地からはなれたくない。というのも正しくはない。」と語る。
「建設行の復興需要が去ったあとは、どうなるのか?」
「人口も減って、住むところも限られた時代、土地を自然に返すということも必要では?」
高村薫氏は、地元の方の見据えているのは、未来である。
きりぎりすは、ありになれない。現在の政治家は、きりぎりすである。
この次、どこかの原発で同じようなことが起こったら、それは、国民の自業自得となる。国民は、未来を見据えることができると思う。
もう、日本にお金はない、産業もかたよっている。人口も減り、過疎化がすすんでいる。
現状復帰ではなく日本の将来をどうするのかという意味でかんがえなければいけない。
もう、日本にお金は、ない、産業も偏っている。国民はおとなしすぎる。
というような、内容であった。
正しく意図が伝わらないといけないのでぜひ、NHKオンデマンドで見て欲しい。

私の考え
だれも、猫に鈴がつけられないでいる現状なのではないか、
「もう、その土地に住むのはやめて、別の土地に移住しないか?」と
そう、そしてそれを利用し、ひと稼ぎしようとする政治家・産業界。

2つの番組を見て感じたこと、日本人は、端本的に文句も言わずおとなしい。
今時代は、変わった。ぜひ、国民は、自分の考えを主張しよう。
いや、主張する前に考えよう。

高村氏の話し、原子力は、生活あっての電気、電気があっても生活がなりたたないようでは、論外、なければないで工夫できる。